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卓572 そういうブルー

水越 卓治 2020.09.11

空にも夏の残り香が。
ここ数日、夕刻の天候が安定しません。


( 2020/9/11  16:45  遠雷の響きに気持ちがざわつく、奇妙な晴天でした。)



その都度、雨雲や落雷を報じるサイトを開いても、
微生物を顕微鏡で眺めるかのような意で
頭上の天候の先行きに思いを巡らす状況にあり…。

そのあと、
気付かぬほど短時間の降雨があったようで、
そののち帰りに見たものは…。


( 2020/9/11  17:21  退勤途中の混雑回避ルートにて。取手市 桑原成沖。)

都の新型コロナウイルス感染拡大防止推進店舗を
二軒ほどはしごをしたかのような充足感を、
帰宅途上で味わうことができた夕刻となりました。


  (これのことでして。やや興ざめ。)

さて、
前回延ばさせていただいた埼玉行脚の話題ですが、

取手から車で、県西の境町を経て、お隣の埼玉県に。

埼玉・茨城の県境は、わずか19km程度です。


( 2020/8/31  12:12 埼玉県久喜市栗橋・国道4号線と利根川。対岸は茨城県・古河市(こが し)。写真奥が下流(取手・銚子方面)。  )
(この写真の少し先で、国道125号線の西行き方向(加須・熊谷方面)へ。)

そのあと、再掲となりますが、
うどん店の多い加須市(かぞ し)で腹ごしらえを。


( 2020/8/31  13:03 )

学校のある取手市の南を東流する利根川は、
水源のある群馬県から、群馬・埼玉県境を経て、
茨城・千葉県境をなして太平洋をめざす、
流域面積では日本最大の河川。

関東平野を横断する大河、利根川ですが、
400年ほど前までは、太平洋へではなく、
意外ですが、東京湾(江戸湾)に流れていました。

当時は、荒川、利根川、渡良瀬川の3大河が直接、
東京東部の低地を貫いて、湾に注いでいました。

この集中を分散させるべく、徳川家康の頃、
利根川の流れの大改造が進められました。

最大の改造地点が、ここだったようです。
南(東京湾)へ流れていた利根川を、
東(太平洋)へ流すよう大工事を施した地点。
*  
( 2020/8/31  14:13 埼玉県羽生市・道の駅はにゅう前 )

余談。
ここ(道の駅はにゅう)で売られていた「羽生名物 花袋せんべい」。
羽生は「はぶ」と呼ばれるわ、花袋は「はなぶくろ」とか呼ばれるわ、
田山花袋を知っている人からすら「やっぱり硬いせんべい?」とか
ダジャレの資源にされたりと、旧来より難多き煎餅。


(『田舎教師』で気分もズギューン。 ねぎ味噌味がいちばんズギューン。)
(「善治せんべい」「結弦せんべい」とか出しても許されそうな雰囲気も若干。でも結局難読。)

余談は終わりまして。

道の駅はにゅうの敷地に立つ、「川俣締切跡」の石碑。

今の埼玉県北部で、重機も無かったその時代に、
流れを南向きから東向きに替える大工事はおよそ60年間。

あわれ、人身御供(ひとみごくう)を施したほどの難工事であったと
伝えられています。


( 2020/8/31  14:12 川俣締切跡(かわまたしめきりあと))


( 14:25 1kmほど川下へ歩いて…。 400年前はこの地点で、この写真・奥の方向(南)に向けて、利根川は流れていた…のを、この画像の足元に映っている堤防で締め切った…という大工事が60年もかけて行われたということです。)
(かつての川底とおぼしき所に建つ、右奥に見えるカラフルな建造物は、幼稚園か保育所なのかなと思ったら、全然正反対のジャンルの建造物でした。)

時間が前後しますが、この地点(羽生)に来る前、
さきほどのうどんを加須でいただいた後、
古来の利根川(現在は「会の川(あいのかわ)」)の流れの名残が、
最大限に遺されている所に立ち寄りました。


( 2020/8/31  13:33 )

遊園地・むさしの村。
かの豊島園が閉園フィーバーだったこの日、
そのせいであったか否か不明な中、
人影は、まばら。

この遊園地に沿って、田園ばかりのこの地域には珍しい、
赤松などの樹木が生い茂る林地が、帯状に残っています。


( 13:33  砂地にも根を張る樹木は、松や梨など。)

じつはこの林地が、内陸砂丘(河畔砂丘)でありまして、
鳥取砂丘などのような、海中の流砂と強風のダブル効果で
形成される海岸砂丘とはちがい、日本では珍奇な地形です。

砂丘は、多量に供給される海砂・川砂+卓越して吹く風により、
うちあげられて、堆積をくりかえし、形成されます。

上述の、流れを替えさせられる前の利根川がこの地を流れて、
川が堆積させた砂が、浅間山の噴火による火山灰も加わって、
大量に自然堤防として堆積したことに加えて、

北方の赤城山から吹き下ろす冬の強い季節風(赤城おろし)
の力で、幅広く砂が積もった一帯が列状に形成された
というもので、

この地域の名を冠して、
志多見砂丘(しだみさきゅう)と呼ばれています。


( 2020/8/31  13:38 )

日本最大の海岸砂丘・鳥取砂丘のように、ラクダまで駆使して、
メルヘンチックに観光開発されている景は、もちろんここには、
ないばかりか、房総半島によくある、濠の残っていない古墳
の片隅のような景観です。

ここのところ急に出くわす大雨のせいか、歩道の上には、
砂丘から流出した、赤土とも黒土ともちがう砂が
ひからびて広がっているのがはっきりと見られました。


( 2020/8/31  13:35  )

さて、一連の、内陸砂丘を見て来ちゃったのよねんネタは
ここまでにいたしまして。

きょう午後、
掃除の時間(13:30-40) に、
壮絶な遠景を目にしまして。


( 2020/9/11  13:39 )

なんと、取手駅西口の西友などのビル群の方向で立ち上る、
大量の煙。


( 煙の塊が、様々な形に連想できますが…。)

いったい、なにごと?

Teams で先生方と連絡を取り合いますと、
長尾先生からすぐ、南船橋の火災との情報(Twitterによる)が。
学校から取手駅と同じ方角(南南西)に、約30km。
途中には、船取県道が通じている方向です。


( 地理院地図 )(たしかに、学校から取手駅への方向と同じでした。)

夕方のテレビのニュースでは、

解体中の倉庫で、金属部分を切断する際に
出た火花が、廃材に燃え移ってこの火災に
発展したとのことでした。

同様の災禍を、物理的センスを活かして、防ぎたいものです。


( 2020/9/11  13:43 )

掃除(~13:40)に来ていた生徒、
5校時(13:45~)に来た生徒が入り混じる中、
駅付近から立ち上るかのように見える煙と、
まだ、どこでの火災とわからぬ不穏な遠景に、
若干騒然とした時間となりました。

個人的には、19年前の、

2001/9/11 の22:00過ぎに、
日テレさんのお笑い番組が放送を突然中断する中、

ニューヨークの貿易センタービルが
朝9時過ぎの空を背景に、爆撃テロを受け、
煙を上げて最後に崩れ落ちるという

凄惨な光景の生中継を目の当たりにしたあの日を
思い起こすような煙と青空として目に映りました。
そしてまた、人として祈ります。


( さきほどの画像、一部。)

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