• 学校案内
  • 学科・コース
  • 学校生活
  • 進路
  • 入試情報
menu close

卓527 時の流れの感じ方

水越 卓治 2019.11.01

冠雪した富士の高嶺が見えます。

 

( 2019/10/26  10:45 1年A組・地理 )

 

すべての教室から見える景ではないので、

こういう日は、出欠の呼名をしている間に、

のびのびと眺める時間をとるようにしています。

 

 

 

本日の投稿はこのあと、

画像なし・常体のまま、文のみ1600字余、となります。

では、日・月、よい連休をお過ごしください。

 

 

時の流れの感じ方

 

1.

近年、定期考査の監督時に実感したこと、

腕時計をする生徒は激減した。教室の時計が頼り。

普段、時刻はスマフォ等の携帯で確認するという。

たしかに、腕時計の着用はなくとも事が足りる。

 

入試当日の注意事項にまで、「腕時計を持参してく

ださい」と喚起する一節は、以前は長年載っていた。

 

しかし、2015年頃からスマートウォッチが広く

商品化され始める。スマフォの手首着用版である。

これも、値下がりすれば普及するのは自明であり、

腕時計をする中高生の数はまた復活するであろう。

現在本校は、登校時のスマフォの所持は可である。

 

試験会場の話に戻る。他所では、腕時計の着用を

禁止する例も出現。スマートグラスも普及すれば、

眼鏡まで試験会場でチェックを施す時代も遠くない。

 

 

機械技術の進化とともに、時間の流れとの向き合

い方も、年代とともに大きく様変わりしてきたが、

私自身には、電波時計の登場が印象最大である。

修正を要せずに、秒単位の時刻を常に把握できる

ことで、時間の使い方は激変した、はずである。

 

 

2.

とはいえ、人により、時間の感じ方は様々である。

開始時刻と終了時刻の意識の仕方が一様ではない。

日本人は比較的時間を守る方だだとか、

TXがダイヤより20秒遅れただけで謝罪したことが

他国で話題になったなどと報じられたりはするものの、

 

時刻を時計で確認しない人も相当多い気がする。

 

周囲の人が動き始めるのを見て、

「あ、自分も行かなきゃいけないのかぁ。」

と認識して動く人が、年代を問わずに相当数いる。

判断基準が、その人の足元には、ほぼ無い。

 

こうした、周囲の人を見て動く人々を、

「 『人時計』で動く人」と思うようにしている。

腕時計は愚か、スマフォも電波時計も、持ち腐れ。

 

 

時刻の認知の仕方ばかりではない。

 

時間の認知の仕方も、

エレガントさが欠けるケースを散見する。

ここでいう時間とは、時刻と時刻の差である。

 

 

例は妙だが、お弁当を作るとしよう。

お弁当箱という限られた空間の中に、

彩りや栄養バランスや思いやりをこめた配分が

優雅に構成される。生け花や舞踊とは異なるが、

これもまた、日本人らしい造形空間かもしれない。

 

お弁当の場合と同様に、

テレビ番組や学校の授業などの場合は、

定まった時間枠の中で、機能的な構成が

仕組まれていなければならない。

 

「彩りや栄養バランスや思いやり」があればこそ、

なはずである。

 

 

3.

職員室にいると、教員間で、

私語とは異なる、報告・連絡・相談に属する

だいじな対談も、普通に耳に入ってくる。

 

こうしたお話の中で散見(散聴?)するのは、

情念が理性を上回り、情感に充ちた語勢は兎も角、

同じ話題が五回も六回もループ(循環)して、

対話がなかなか収束や結論に至らないケースも。

時間が何分間過ぎているかは、二の次の様相。

 

しゃべるだけが目的のような例とでもいうか、

距離感を縮める効能はあるが、無駄な場合もある。

大人にも、中高生にも、あてはまる様相であろう。

 

そんな中で、突然鳴り出す内線電話の対応の方に

優先順位が移ったりする場面まであったりもする。

 

でも、こうした混沌をうまく交わして時は過ぎる。

 

 

しかし、一定の時間枠を意識せぬままに、

議論が継続される場というのは、どこかで

生産性や建設的であるかどうかを測らぬ限りは、

人数 × 時間 の社会的損失に至っていることに

気付かねばなるまい。

 

進行役がいる場合だと、番組も授業も会議でも、

こうした混沌を捌くのは、進行役の腕の見せ所。

 

とはいえ、一定の時間で、対談や鼎談を有効に

収めるのは、単純にできることではない。

 

ましてや、式典・儀礼などのセレモニーの場合や、

興奮度を伴うシーンでは、制御自体が困難である。

 

 

4.

結局、時刻を正確に示すメカがどんなに進化しても、

それを用いる人々が、時計が示す時刻などよりも、

その場の熱気・雰囲気や、周りの人の行動の方が、

依存する優先順位が高くあり続けるのであれば、

 

時刻厳守は、声高に叫んでも永久に難題である。

そうした依存意識を改革する方が近道である。

 

それでも、時の流れの感じ方は、

各自の自由であり、集団での整え方が課題である。

 

とはいえ、腕時計は百年前、第一次大戦の戦線で

突撃等に活用されて以降、急速に普及したという。

今後、スマートウォッチの時代に入り、

生身は「人時計」の人々は、

時の流れと、どう向き合うのか。

 

 

「記事一覧」へのリンク

ARCHIVE