

卓830 在りそうでいて存在しない
水越 卓治 2025.08.22
ときどきテレビやラジオで、
何かの場所を報じたり話したりする際に、
存在しない市町村名を耳にすることがあります。
だいたいは、思い込みや勘違い、
疑いも持たずに言われたとおりに原稿を読んでいたり、
などということが絡んでいるのかもしれません。
今までいちばん見聞きした例は、
「幕張市」
千葉県に在るとされてしまっていますが、存在しません。
幕張メッセなどのある幕張新都心は、千葉市 美浜区 に、
在来の、埋立地ではない幕張地区は、千葉市 花見川区 に、
位置しています。
*
( 2024/10/14 13:51 JR京葉線。 「幕張」の名が付く駅は今や、JRと京成でじつに6駅も。 )
*
これまでいくつかの民放の報道番組やビジネス番組などで、
平然と「千葉県幕張市で・・・」などと読まれているのを
耳にしたことがありますが、去年はついに、某国営的放送の
アナウンサーがこう読んでしまっていたほどですので、
いかに幕張が1都市として認識されてしまうほどの
何かを秘めているか、ということになります。
つまり、幕張新都心がもつ周辺に対する中心性や都市機能と、
「千葉(市)」よりも高いのではないかと見られるネームバリ
ューが原因しているのかもしれません。
*
*
最近ラジオで聴いた例では、
「大船市」(おおふなし)
岩手県の大船渡市のことではなく、
神奈川県の、JR東海道線・横須賀線・京浜東北線(←じつは
根岸線)が通じる、大船駅のある一帯が、
住所が「大船市」と一部の方々に思われているようなのです。
30年近く活動しているあるミュージシャンの方が話していて、
大船駅から出ている湘南モノレールのことまでふれてました。
大船地区は、じつはあの鎌倉市の北西の方に位置しています。
*
「鎌倉市だったんですか、初めて知りました。」という方は
わりといるかもしれませんが、ついに架空の都市名「大船市」
をメディアで初めて見聞きしてしまいました。
「大船は鎌倉とはちがうぞ」感というのもありそうです。
大都市の近郊に位置する、拠点となる地名は、
結構、都市名と認識されてしまうケースは多いようです。
*
これと同様の例として、
「津田沼市」
というのも、「津田沼駅ってどこ市?津田沼市?」
みたいな会話を街中で聴いたことがあります。
さきほどの、幕張の近くにあり、
JR総武線も、私鉄の京成線も、車庫を控えている関係で、
「津田沼」、「京成津田沼」という行先の便が
都心部でもよく見かけられ、「大船」行も
よく見かけますので、事態としては同じ種類のようです。
幸い、「我孫子」や「取手」は市名でもあるので支障は
ありませんが、「大宮」の場合だと、かつてあった市名で
現在は県都・さいたま市というような例もあります。
「大船」「津田沼」と同様なものとしては、
「高尾」を都市名として認識されたりすることもありそうです
が、こちらは山の名前としてのネームバリューが高いせいか、
「高尾市」というのはまだ聴いたことがありません。
ちなみに高尾山は、八王子市に位置しています。
そして、さきほどの「津田沼」は、千葉県 習志野市。
1954年の市制前は津田沼町だったのですが、
そのもっと前の明治中期に津田沼町が成立した際は、
「谷津村」「久々田村」「鷺沼村」などの村や地区が合併し、
一文字ずつ拾っての命名だったことが知られていまして、
茨城県の小美玉市(小川町・美野里町・玉里村)と仲間です。
「習志野」という地名に関しても、
誰が名付けた地名なのかだとか、
なんで船橋市内にも習志野があるのかだとか、題材を
展開することも可能ですが、きょうは控えておきましょう。
本題は、在りそうでいて存在しない市名でしたが、
新幹線の駅のある所は、都市にちがいないという幻想が
以前から結構ありました。
「米原市」(・・・これは今は存在します。)
今はもう市になっていますが、滋賀県の米原(まいばら)は
その典型でした。2005年までは町でした。
また、山口県にあった小郡駅(おごおり、現・新山口駅)も
同様で、
「小郡市」(・・・別の県に存在します。)
にあるのかと思われがちでした。ですが、
隣の福岡県の、久留米市の北隣に小郡市が存在しており、
ご当地両県にとってはいよいよ紛らわしいものがあったと思わ
れますが、
2005年に、平成の大合併により、小郡町は山口市に含まれ、
同時に小郡駅も、新山口駅に改称し、
幻の山口県小郡市の誤解は、一挙に解消したようです。
新幹線でもう一つは、
長野県内の地名で知らない人はいない、避暑地のメッカ、
軽井沢駅を擁する、軽井沢。
ここも、
「軽井沢市」
と認識されそうな気配が漂い、機能が具わっている感がありま
す。
ここの場合は、「津田沼」や「大船」のような落ちではなく、
「北佐久郡 軽井沢町」
です。
北陸新幹線が「長野行新幹線」という呼称で軽井沢駅に停まる
ようになったのは、長野冬季五輪が開催される少し前の1997年。
しかし、次の図に見るように、
その標高 940mという、日本の新幹線の駅では最高で、
碓氷峠の956mと僅差ですので、ほぼ峠に位置しています。
そのために、1000mに対して約30m(30‰、パーミル)
という急勾配の高架やトンネルを建設して開業しています。
安中榛名(あんなかはるな)・軽井沢間の平均勾配は、
(940-294) ÷ 23.3 = 27.7 m/km(27.7‰)
と出ます。
軽井沢から西へはまた標高を下げ、
隣の佐久平(さくだいら)では701mと 239mダウンです。
*
(図中の点線は、トンネル部分)
*
これがもし、軽井沢が持つ高原避暑地としてのネームバリュー
がほとんどなかったなら、群馬の高崎から佐久平の辺りまで、
高額な建設費を投じてまで、建設や開業はしていなかったでし
ょう。
もし仮に、軽井沢が、それほど人が目指すことのない
鄙びた地域として歴史をたどっていたならば、
北陸新幹線のルートは、標高差の少ない、長大なトンネルの
建設を伴わないルートに決めたでしょうから、
たとえば次の図のような経路であったと思われます。
(紫色部分が仮想経路)
*
高崎を出て、新潟へ向かう上越新幹線から左へ分かれたあと、
安中市の磯部温泉、かの製糸場で知られる富岡市、
こんにゃくと葱で名高い下仁田町を緩い勾配でのぼり、
10km程度のトンネルを八風山(はっぷうざん、高速道路の
上信越道のトンネルで有名)の南方を勾配30‰でのぼり、
最高地点で、軽井沢より150mほど低い783mで済み、
距離も少し短めで済みそうな経路で通されていたのかな?
などと思ったりもします。
でも、ご存知の通り、
東西日本を内陸で結んだ中山道(中仙道)の碓氷峠と軽井沢宿
が400年ほど前から存在し、
1893年から1997年までの間は、JRの前身である鉄道路線が、
峠の釜めしで有名な横川駅との間を、信越本線として貨客を
運搬し、東京から長野、北陸方面を結ぶ幹線として
機能していた時代に、この区間の66.7‰という急勾配を
重連の機関車を繋いだり外したりする駅ということで、
すべての列車が5分以上は絶対に停車する(横川もそうだった
ため、業者「おぎのや」が乗客に釜めしを販売したら成功)と
いう、通過交通とはいえ要衝であったことも
要因ではありますが、
それを上回るポイントはやはり、
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( 2023/6/3 10:37~11:32 )
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カナダ人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショウが
1886年に軽井沢を訪れて以降、保健休養地として内外に
紹介したのが、現在の高原避暑地・軽井沢の礎を築いたと、
旧軽井沢の奥にある記念礼拝堂前にある胸像の碑文に
記されています。
( 2023/6/3 )
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2年前のSCC(全校宿泊学習)でも立ち寄った軽井沢ですが、
街中や、高速の最寄りのインターを結ぶ道路を走行する車が
ハイソな車種ばかりでちょっと圧倒されちゃいます。
軽井沢に別荘がありますの・・・と語る人にも
ご当地ではなくとも出会うことがあるかもしれませんが、
ほんとうに所有している方は、登記の手続きも経ている
ことでしょうから、軽井沢市ではなく、
軽井沢町であることはご承知かと思われます。
さらに、
「軽井沢町ですよね。あそこって、なに郡でしたっけ。」
などと尋ね、
「北佐久郡」とすぐ出てくれば間違いはなさそうです。
何でも他人にやらせちゃってる方の場合なら別ですが…。
8月22日金曜の軽井沢は、
最高気温が28.4℃、平均気温が22.9℃。
龍ケ崎では最高35.1℃、平均28.8℃と、
下界よりも6~7℃ほど涼しい世界であった模様。
6月30日に上田まで北陸新幹線で日帰り往復した際も、
往路は軽井沢でどっと降り、復路はどっと乗り、でした。
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浅間山麓にたたずむ魅力ある自然環境・歴史環境のもとに、
観光保養都市として世界に知られる軽井沢は、
そこを目指す人々で十分な乗降人員が見積もれる軽井沢駅に
急勾配と長いトンネルなどの高度な建設技術を伴ってまでの
大動脈のルート選択をするに至らしめたと、いう機能面では、
分水嶺の峠に在りながらも、
市と認識されても不思議ではない存在なのかもしれません。
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