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卓823 ここはどこ

水越 卓治 2025.07.04

6月29日、日曜日。
家を6時半に出て、日帰り旅。

夕方以降を除いて場所を明かさず、
「ここ どーこだ?」な感じで、見てきた様子をご紹介…。

( 2025/6/29 7:56  2番線からこれの次の、8:08発の便に乗ります。折り返す便のグリーン車を、短時間で清掃しきる部隊の方々のりりしさは、新幹線ホームの方々のものともかわりがありません。  )


今年3月からこの路線にも営業を開始したグリーン車に、
駅弁買って乗り込みます。


( 8:16  このあたりは、外堀に沿って進みます。 )


1時間ほど乗ってから、特急列車に乗り継ぎまして…。

( 9:59  この地域を代表するフルーツの果樹園だらけで、田んぼは見当たりません。 )


そのあと、とある内陸県の県都で、別の線に乗り換えました。

その県都の駅は、標高276m。駅の横に、城跡があります。

( 10:44  ホームにあるアイスの自販機、使っちゃいました。 )

 


この県都から海へ流れる河川に沿って
3両編成の特急列車の自由席に。

( 11:41  左岸からの景です。 )


この区間は、12歳の頃に父親に連れられて
逆方向に向かう急行列車で通って以来の景。

さきほどの県から、お隣の県に入ってすぐにある都市に到着。

市名のもとにもなっている神社に向けて、ぶらり、途中下車。

( 12:37  標高は 120m。 )


その神社の横には、
日本を代表する火山の麓を伏流する水が湧いています。

( 12:57 )


この日はあいにくの曇天で、
優美な山の姿を微塵も拝むことができませんでした。

( 13:03  実際にはこれよりもうすこし右の方向を見ると、晴天時に山頂方向の山影が拝める感じです。 )


この街は亡父の出身地でもありますが、ここの地点などは
なんとなく、自分の苗字をリアルに想わせる景でもあります。

さきほど来た道にあった食堂で
少しおそめのお昼をいただくことに。

( 13:14 )


地元の方々からも親しまれている店であることが
よくわかりました。

(  13:29 )


わさび漬けのお店にも寄りまして。

( 13:59 )


この都市は、焼きそばといえば的な知名度を誇っていますが、
戦前生まれで、戦時中にここを去らざるを得なかった亡父は、
今や名物となっている焼きそばについては何の愛着も関心も
持ち合わせておらず、最も特産品として推していたのは、

( 14:04 )


…かなりピリ辛なわさび漬け風な粕漬け、曽我漬でした。
源頼朝の時代にあった、曽我兄弟の討ち入りにちなんでます。
近隣の都市産ですが、伏流水を使った羊羹も推していました。

というわけで、14:19発の鈍行でこの街をあとにしまして、
帰り道。途中で通った乗換駅には、行楽客多数の賑わい。

( 15:40  JR2社の境界にある駅ゆえに、改札口のつくりもやや特殊。 )

 


帰宅後、夕食で、前日に盛岡で入手した冷凍海産物の瓶詰を
開けてごはんの上に載せますが、

(  19:15 )


手前のスペースに、曽我漬を載せていただくことに。

( 19:29   箱の裏面の原材料名欄には、大根、きゅうり、酒粕、砂糖、香辛料などの記載があります。 )


ワサビ系のピリ辛度は、包装の挿絵に見る「父のかたきー!」
的な刺激を感じます。

実際に、父方の祖父(小学校教諭)は三十代後半で早逝し、
のこされた父は母子家庭の環境下で戦中戦後を生き抜くため、
高等教育を受けることよりも戦時下の勤労を優先せざるを得な
かったわけですが、

その当時の国内・国際情勢に向けて、
望む進路を絶たれた父の仇~、
的な思いも可能ではあります。

でも、戦中戦後を生き抜くことができたことは、
子孫となった自分たちにとっては幸いなことでもあります。
曽我漬ひとつでいろいろと思いを巡らした次第。
「私は誰。」かも多少考察する時間でした。



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P.S.
今回巡ったところは、
東京駅から中央線快速で西進、
八王子で特急で甲府へ。
甲府から身延線で富士川沿いに南進して富士宮へ。
帰りは、富士、熱海などで乗り換えて帰宅しました。

以上になります。