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卓819 梅の日

水越 卓治 2025.06.06

( 2025/6/6  18:24  歯科にて歯のクリーニングが完了したあとに眺め見た、取手駅西口の景。)


六月六日は梅の日であるらしい。まだ収穫時期には少し早いが、思い出してしまうのは、以前、家で作っていた梅干しの味のことである。それは市販の梅干しとちがい、なぜかほの甘酸っぱかった。そのため、梅干しならではのしょっぱさがかなり抑えられ、それとしての亜種感を禁じ得なかった。

高校生くらいの頃まで、庭の梅の木で獲れた実を、母親が天日干しなどしながら、自家製梅干しを毎年百個か二百個ほど作っていた。庭の片隅には、栗・柿・梅・夏みかんなどの果樹が植わっていた。物件を入手したころに父親が植えたものらしい。門の脇から道沿いに少し離れた隣家に面した角地には赤松が一本植えられており、緩いカーブを伴った家の前の市道から見て、カーブの外側に聳える姿がその敷地の象徴的ともみえる景を成していた。

ただ、それらのどの樹木についても伸びる枝葉の剪定を倹約家の父親がすべて自前で済ませてしまっており、植木屋を入れたことが一切なかった。道沿いの赤松なぞ、素人による技巧に欠けた粗雑な枝ぶりを見かねたためか、植木屋が営業で幾度も呼び鈴を押してきたという。

梅雨明けあたりにか、赤しそとともに手塩に漬け込んだであろう梅干しは、完熟の梅の実の色ということもあり、少しオレンジがかった色合いで仕上がり、既製品に見るようなゆかりを想う赤紫色に仕上がってはいなかった。それをごはんのおかずやお茶漬けのおともに添えるのだけれども、でもどういうわけか、梅干しの酸っぱさとかけ離れた、何かやさしい甘酸っぱさが口中に広がった。おむすびの場合もまた然りであった。

よって、幸か不幸か、世間でいう甘酸っぱい思い出や体験に高校時代は比較的恵まれなかったであろう自分にとって、「甘酸っぱい思い出は」と問われれば、「自家製の梅干しが異様に甘酸っぱかったこと」を上位に挙げることも多分にありえる。

二十年ほど時は過ぎて、古希を迎えた両親が出した老後生活の結論の一つは、結婚以来四十数年住み慣れた土地家屋の売却であった。九十数坪に建つ木造家屋二棟と庭の木々を、老夫婦二人で維持するのには限界を覚え(そのころは姉も私も結婚し、家を離れていた。)、市北部にみつけた新築の三LDKのマンションや分譲菜園などを新天地にするというものだった。

もちろん二人の転機には賛同したものの、生まれ育った土地が他人様の所有となってしまうことには多少の淋しさもあった。実りや季節感に満ちた庭の木々にも別れを告げるということであり、梅干しやらママレードやらを作ってきた思い出もここで断ち切られるということでもあった。

やがて、ンションへの両親の引っ越しも無事に落ち着いた頃に、リビングのソファで、土地家屋の売却の際に、初めて植木屋に庭の木々を見てもらう機会があったという話を両親がし出した。ついに、プロに見てもらうおりに果樹たちは恵まれたのかと思いながら聞いていると、
「じつは、梅の木がね・・・」と母親が続ける。
植木屋さんいわく、我が家に生えていた梅だと思っていた木がじつは、杏の木であったという。当時の我が家のメンバーにとっては多分に衝撃的な情報として受け止めざるを得なかった。

要するに、春先に薫り高く開花していた白梅は、あれはじつはすべてアンズの花だったという事実。

ベランダの物干しに天日干ししていた百個か二百個ほどのオレンジ色の実は、あれはすべてアンズ干しだったという事実。

白ごはんやお茶漬けに添えていたあの薄褐色の幻は、あれもすべてアンズ干しだったという事実。

梅干しのおむすびだと思いきや、じつは中味はアンズ干しだったのだという事実。

それらの味がほの甘酸っぱかった理由もただひとつ。それはそれが、ただただアンズであったため。

でも、どういうわけか、脱力感やら幻滅感らしきものを覚えることはなかった。駄菓子からドライフルーツまでのみならず、おぎのやや崎陽軒など日本の名門駅弁の脇役を務め切るあたりに至るまで、この果実の存在感を疎ましく思ったことはただの一度もなかったためとも思われる。

いずれにせよ、大きく取り沙汰にする話ではない。概ね同類の二者とみてよく、杏梅という語もあるくらいである。

日中、PC画面の片隅に「今日は梅の日」などと出ていたのをきっかけに、杏に対して懐かしい思いを馳せてしまった。「杏の日」というものがあるのかないのかわからないが、字面の似ている「海の日」の方は来月二十一日に控えている。海だと思っていたものが実はそうではなかったみたいな話題がもしあれば、懲りずに記しているかもしれない。



( 1978年・春  庭の片隅で開花する、長年、梅だと思われていた杏の樹。)





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