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卓757 回顧巡礼

水越 卓治 2024.03.29

先週日曜は、車で230kmほど、日帰りで。
その日の目的は一言でいうと、回顧。
心の風景を、火野正平さんの番組に依頼せずに探るような…。

( 2024/3/24  10:14  1995年4月の館山道の開通まで、京葉道路の終点はここの十字路でした。内房へは直進、外房へは左折の、大分岐点でした。 )


上の写真は千葉市の南部。国道16号バイパス、下市場交差点。

ここから先は、住まいを撮った写真を上げる関係もあり、
市名や地区名の明記は伏せますが、

幼少の頃から2002年(37歳)あたりまで、年に何回かは、
行き来していた、X市、Y市、Z市方面へ、出向いた次第。

それらの地域にまだ高速道が十分に通じていなかった時代は、
のどかな地域に網羅する県道等々をいくつも跨ぎながら
向かっていたわけでして。そのルートを久々に辿ることに。

高速では出くわさない風景や時間を愉しみながらの移動です。

( 2024/3/24  11:02  千葉市のお隣の市にて。よくテレビで登場する、この線でおなじみの肌色と赤のツートンカラー…ではない、国鉄おさがり車両の出現に若干の違和感を。 )

なぜ私が幼少時からこの地域に行き来してたかといいますと、
簡単にいえば「おばあちゃん家」があったから、であります。

私の母方の祖母と叔父が1960年代から、
亡くなるまでの25年ほど、この地域で暮らしておりました。


( 2024/3/24  11:19  さらにお隣の市。 案内標識から読み取れる「平岡小学校幽谷分校」は、昨年3月、145年の歴史を惜しまれつつ閉校した模様。)

もともと家は平井(江戸川区)でしたが、戦中戦後の混乱で、
X市で10年ほど、隣のY市を挟んでZ市に移って15年ほど、
祖母と叔父は暮らしておりましたが、

姉や私にとって、この2地点の「おばあちゃん家」は、
日帰りでお正月に訪れたり、夏休みに1~2泊「おとまり」を
したりと、ちょっとした思い出深い場所でもあります。

( 2024/3/24  12:13  X市をぬけて走る、Y市内の中心部。 この地域に多い、緑のカバのマークのお弁当屋さんチェーン。チャーシュー弁当がうまし。 )

温厚だった祖母は80代で、言葉少なだった叔父は60近くで、
1990年代前半に他界。残された家を私の両親が受け継いで、
2002年まで、郊外の別荘のように守るなどしておりました。

( 2024/3/24  Y市を抜けて、Z市・Z公園。 その地がチーバくんのどこに当たるのかという問いの答えは、自主規制ゆえの「解なし」の妙。  12:30到着(撮影は昼食後の13:32))


というわけで、これら2か所の「おばあちゃん家」のあった
場所に私は、X市の方は46年、Z市の方は22年ほど
ご無沙汰となっておりました。
この2か所の巡礼も今回のドライブの目的でした。

Z市の観光地でお昼をとったあと、そこから近い、
1977年あたりから2002年まで行き来していた家の様子を。

( 2024/3/24  14:06  今お住まいの方もいらっしゃるので、どの建物であるなどという言及をしないことにいたします…。 )

塀や外壁など変わったのを除くと、建て替えることなく、
きれいにリフォームされた形で健在。
とはいえ築50年弱にはなりますか。

このあと触れるX市の借家のときと違い、自家用車をもち、
犬を飼い、庭で野菜を作るなどの生活が印象にのこります。

( 2024/3/24  14:06  奥に見えるブロッコリーみたいな樹木がこの地域ならではで、中小規模の古墳も点在していたりもします。)

…このあと、Z市からY市を通り抜け、
X市にあった「おばあちゃん家」跡の方にも、
おそるおそる訪れてみました。

( 2024/3/24  14:24  高度経済成長期の埋立地造成より前のこの地は、海沿いの漁村的な集落。この道路も20年ほど前までは、国道16号。 )  


幼い頃は、国鉄のX駅前からZ公園に向かう路線バスで、
10分ほどでこの地域のバス停で下り、2~3分ほど歩いて、
海側へ進むと、平屋の「おばあちゃん家」があったのですが、

( 2024/3/24  14:25 )


驚いたことに、Z市に移転するまでの間、
祖母と叔父が暮らしていたささやかな家屋と、
訪問時に遊びまわった家の前の私道などが、
その当時とまったく変わらぬまま健在だったのです。

この奥100mほど先がかつては海岸だったこともあり、
私道は緩い傾斜を伴っています。
網元か地主のものだったろうと思われる縦長の地割の中に、
小規模な借家が幾つも高度経済成長期に配されたものとかと。

工業都市・Y市をベースに、関連する雇用も多く、
大都市よりも健康維持に適したこの地に、さきの大戦からの
影響に克つべく移住した祖母と叔父の暮らし・余生に、
思いを馳せる年齢に自分も来ていることをも実感した次第。

変わっていても驚きますが、
変わっていなくても驚くものですね。




『記事一覧』へのリンク

ARCHIVE

P.S.1
Z公園では、三十数年前にも訪れたお店で、
郷土料理・焼きさんが、ニシ貝のつぼ焼き、
アサリごはんなどの定食を堪能。

( 2024/3/24  13:27、13:01)

以上になります。 ・・・⇒