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卓684 二か所の墓

水越 卓治 2022.11.04

きょうは散策。
平戸(長崎県)の港とも、ゆかりのある地へ。

ちなみに、来週は5年生(高二)の九州修学旅行。
初日の午後は、平戸で散策・宿泊となります。以降、
諸外国との交流史がひときわ濃厚な一帯をめぐります。


( ▲ 2022/11/4  12:57 )

で、
京急線の、各駅しか停まらない小さな駅に降り立ちまして。
快特だと、何駅なのか判らないほどの速度で通過する駅です。


( 2022/11/4  13:03 )

駅を取り囲む丘陵の頂きに立つ、
三浦按針(ウィリアム・アダムズ)の供養塔を目ざします。


( 2022/11/4  13:16 )

神奈川県 横須賀市 逸見(へみ)の周辺。
都市化をまぬがれた急傾斜地の小径が続きます。

標高差にして120m。20数分、3000歩を進むと、
見えてきました。

かつては江戸湾が臨めた高まりだったようです。


( 2022/11/4  13:23 )

ウィリアム・アダムズは、日本に初めてやってきた英国人。

1600年に現在の大分県に漂着したのち、幸いにも、
初代将軍・徳川家康からの信頼を得、外交顧問を務め、

領地(現在の神奈川県横須賀市逸見)とともに、
三浦按針の日本名を与えられるなど、1620年に平戸で没する
まで、生涯の後半を日本の武士として生き抜きました。

あの、『将軍』(SHŌGUN、1980年頃のアメリカの小説・
テレビドラマ)の主人公のモデルとなった人物でもあります。


( 2022/11/4  13:26  修学旅行団の無事も念じてしまったりもし…。 )

右は三浦按針の、左は日本での妻の供養塔。
昼下がりの穏やかな日差しのもとで、
400年前の日本のサポートに尽くした労を想いました。

なお、遺骨を葬った墓碑の方は、平戸の崎方公園にあります。
それは、フランシスコ・ザビエル記念碑とともに、
日本に大きな影響を及ぼしたヨーロッパ人を偲ぶものとして、
見逃しがたいものがあります。

また、2020年には、
平戸に眠る三浦按針の遺骨を分析した結果、
人骨の出自、死亡時期に矛盾が無かったほか、
20年間、日本での食生活に馴染んでいたことまでわかり、

「これらの人骨が三浦按針のものである蓋然性が高い」こと
まで解明されたことも、興味深い研究成果です。

東邦大学「伝・三浦按針墓に埋葬された人骨の出自を探る ~多様な科学分析を横断的に駆使した個人同定~」

さて、供養塔を背にし、少し海寄りの方に下りますと、


( 2022/11/4  13:35  ああ、これこそ公園…。 )

東京湾と横須賀の港が見えてきました。


スカイツリーは見えませんでしたが、
横浜ベイブリッジは見えました。
見ている方角は、

北東のようですので、ダイレクトな日没は眺められない模様。

でも、さきほどの供養塔からも、樹木が生い茂る前は、
家康が興した江戸の景を、ここからのと同じようなビューで
感じ取ることができたのでしょう。

行きとは別の道で麓まで下りると、
三浦按針ゆかりの寺が。


( 2022/11/4  14:09 )

丘の頂の供養塔の荘厳さとは対照的に、
かなり、現代の我々に近い存在感でまつられていたりもし…。


按針とは、水先案内人の意とのこと。
家康としては、彼が船舶におけるそれというばかりでなく、
鎖国に入る前の日本の舵を操れる心強い航海士としても、
深い信頼を寄せていたがゆえの、按針塚かもと…。
塚は、鎖国が終わってから築かれたとのことです。

ほんの1~2時間ではあったのですが、
時空を超えた何かに、どっぷりと浸かれた感じがしました。

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P.S.

おそめのお昼を。


( 2022/11/4  ↑15:09 ↓15:13  )

最初は坦々麺たのむ気満々だったんですが、
なぜか結局かた焼きそばに…。

こちらもお気に入りゆえ…。おうちで。

以上になります。