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取手聖徳陸上部35th トピック9『中長距離種目と駅伝』

小川 健二 2021.04.09

トピック9では、【中長距離と駅伝】について振り返りたいと思います。このトピックが一番多く、いろいろなことがあり長編になります。

本校が中長距離種目で初めて県レベルで入賞した者は、平成元年(1989)の県高校新人大会の800mで4位に入賞した百目木(どめき)厚子でした。この選手は中学時代にバスケットボールの選手でした。高校3年(平成3年)の県高校総体では、400m3位・800m2位・3000m4位と3種目で入賞しました。中長距離でこの3種目は、あまりやらないですよね。(笑)この百目木が高校3年の夏に恩師の(故)瀧田詔生先生から「百目木はどうするんだ?一度会わせてくれないか?」と言われました。その結果、進路は瀧田先生が監督の川鉄千葉に就職しました(笑)。この時に瀧田先生に言われたのは「長距離に手を出し始めたのか?県総合も勝ったこともなく、もっといろいろな種目を見てから最後に長距離を指導しろ。まだ早い」とも言われました。そうなのかと思い長距離以外に種目にしばらくは力を注ぎました。ちなみに県レベルの総合優勝は、その年の10月の県新人大会でした(笑)。
初めに成績をまとめました。
≪世界大会≫
〔世界クロスカントリー選手権大会〕
ジュニア6km(日本代表)17位 大崎千聖(2006.3.5福岡国際クロカン 3位)

≪全国大会 入賞者≫
〔日本ジュニア選手権〕
5000m 第7位 大崎千聖(2006)

≪関東高校(北関東) 入賞者≫1大会のみ
1位(1人)800m ①北島路子(1998)
2位(2人)800m ①北島路子(1997)、②3000m 高仲未来恵(1998)

3位(2人)3000m ①荒井笑子(1999)、②3000m大崎千聖(2004)
5位(2人)3000m ①赤塚恵美(1997)、②3000m成毛志麻(2006)
6位(2人)3000m ①酒井亜希子(1998)、②3000m 松川恭子(2000)

≪県大会 優勝者≫
【中学 通信陸上】
〈800m〉2回 ①加藤花梨(2015)、②加藤花梨(2016)
〈1500m〉1回 ①加藤花梨(2016)、②加藤花梨(2017)
【中学 県民総体】
〈800m〉1回 ①加藤花梨(2016)
〈1500m〉1回 ①加藤花梨(2017)
【中学 県新人】
〈800m〉1回 ①加藤花梨(2015)
〈1500m〉1回 ①加藤花梨(2016)
【県高校総体】
〈800m〉3人 ①北島路子(1997) ②北島路子(1998) ③高安わかな(2004)
〈1500m〉2人(2001~実施)①皆藤良美(2003) ②大崎千聖(2005)
〈3000m〉6人 ①高仲未来恵(1998) ②北島路子(1999) ③斎藤有里(2002) ④大崎千聖(2004) ⑤大崎千聖(2005) ➅成毛志麻(2006)
【県高校新人】
〈800m〉1人 ①北島路子(1997)
〈1500m〉0人(1999~実施)
〈3000m〉4人 ①中山靖子(1997) ➁北島路子(1998) ③大崎千聖(2004) ④加藤花梨(2019)
【県選手権】
〈800m〉1人 ①加藤花梨(2015)
〈1500m〉1人 ①高仲未来恵(1998)
〈5000m〉2人 ①成毛志麻(2006) ②加藤花梨(2019)

≪県大会 入賞一覧≫

平成6(1994)年度からは杉森春先生を迎え多数の入賞や優勝をしました。
この杉森先生は、平成5年10月下旬ころ、中学生の勧誘で千葉県我孫子市の中学校を回っていました。杉森先生の中学校に行くと先生は怒っている様子で応接室ではない部屋に案内されて、次のように切り出しました。「生徒の勧誘はわかったけど、俺の話はどうなったんだ。」と怒り口調でいうので、そういえばその前の年に勧誘で訪問した時に「高校で指導をしたいんだけど、聖徳で俺を取ってくれないかな?」と軽い感じで言われたことを思い出しました。私は冗談だと思っていたので、上司には話をしていませんでした。すぐに聖徳の校長と事務長に相談しました。学園長にも話は言ったようでした。その後、超特急で話が進み1月には準備が整い、採用試験を受けていただき本校に着任しました。優秀な指導者が急に退職するとなったので我孫子市の教育委員会は怒っていたと思います。
杉森先生が就任してからは飛ぶ鳥を落とす勢いでした。就任した平成6年の県高校新人では、800mで3位、3000mで2位と入賞が始まり、県高校駅伝も平成6年に3位、平成7年は2位、平成8年には初優勝し、平成11年度まで4連覇を成し遂げました。特に活躍した選手は、赤塚恵美(H7~H9)と高仲未来恵(H8~H10)です。赤塚は、H8年度の県駅伝初優勝(H8/H9全国高校駅伝出場)、H9年度はインターハイ3,000m出場と素晴らしい活躍をしました。赤塚は、高校3年の全国高校駅伝に現地入りした際に少し体調を崩してしまい1区は難しいというので、相談にのり杉森先生に話をして3区を走ることになりました。そして高仲は、取手第一中学校でバスケットボールを行っていた選手でした。高校1年から3年連続全国駅伝出場し、高校3年次は関東高校3000mで2位に入賞し、関東高校総合初優勝にも貢献しました。また実業団に就職し日本代表で世界ハーフマラソン大会に2回出場するまでの活躍ぶりでした。高仲とは1つ目の実業団から次の実業団に移籍の時に相談を受けたこともありました。
≪高仲 未来恵 選手≫

平成12年6月の関東大会が終わった次の日の早朝に杉森先生から電話が入り「今日休んでいいかな?授業を頼めるかな?」というので了解しました。杉森先生は次の日に何か話がありそうな感じでした。放課後の練習中に話がありました。内容は「実業団に行っていいかな?」というので、私は「いつかは来ると思っていました。」というと「なんでそんな簡単に言うんだ。」「夏休みを終えたら実業団に行く。」のような内容を言うので私はカットしました。年度を終えてからか、せめて今年の高校駅伝を終えてではないかと思ってからです。学校側もはじめは認めないと言いましたが、結果的には9月末で退職し実業団へ行ってしまいました。それからが大変でした。4連覇した監督が9月で突然の退職です。まずは監督探しです。「学校側は保護者にばれないように監督を探せ」、私の母校の大学など公募をせず監督を探せということでした。さんざん探して悩んだ結果、私が引き継ぎ、短距離に新しい先生を迎えることにしました。その先生が大橋忠和先生でした。大橋先生には、3年間は私が指示をするのでコーチに徹してほしい。その後は短距離の監督にする約束をして再出発でした。部員の保護者と選手は大変でした。短距離の保護者と部員は、「私たちを見捨てるんですか。なぜ長距離を見るんですか」。長距離の保護者からは「長距離の指導ができるんですか?フェリチンを知っていますか?」。長距離部員は、荒れました。ピアスを開けるものも出るし、例年11月の修学旅行は高校2年生たちは、参加しないで駅伝大会に向けて練習していましたが、駅伝のレギュラーに入れない者は「修学旅行に行きます」言い出し、急遽参加できるようにして、駅伝メンバーも県駅伝大会当日と修学旅行の初日がかぶってしまったので、そのメンバーだけ県駅伝に参加し、県駅伝終了後の夜に寝台車で出発して翌日のお昼に長崎県有田町に着き、有田焼の絵付けに合流させて私は30分ほどお昼を食べてとんぼ返りをしたことを覚えています。ちなみに県高校駅伝は5連覇がかかっていましたが途中トップを走りましたが結果は2位でした。お通夜のような状態での修学旅行への合流でした。

県高校駅伝は、その年から3年連続2位でした。すべて一旦はトップに立ちましたが勝てませんでした。私は長距離の勉強するには誰を訪ねるべきかを考え、平成13年1月から3月までの3か月間(週3回)、大学の後輩で佐倉アスリートの深山コーチに連絡を取り、佐倉アスリートの朝練を見学に行かせてもらいました。当然、小出監督、シドニーオリンピックマラソン優勝の高橋選手もいました。その朝練に小出監督と同じワゴン車に乗せていただき、話を聞きながら朝練を見せていただき、大変気持ちが高揚し私が元気をいただきました。大変感謝しています。また、その年の3月下旬に新潟の駅伝大会に参加した時、当時、市立船橋高校の滝田輝行先生と出会い、その後大変親しくしていただきました。そして、その大会中に滝田先生から三井住友海上の鈴木監督も紹介していただき、三井の合宿にも呼んでいただきました。その甲斐があって平成15年にやっと優勝ができました。しかし、優勝記録は今でも最低優勝記録の1時間15分52秒でした。前年度に優勝監督からは、「おめでとう。でも島根県や沖縄県とは競るなよ。」と言われました。大変屈辱的な言葉でした。それほど良くないタイムでした。しかし、関東駅伝1時間15分06秒、全国駅伝では1時間14分19秒で走り46位(記念大会なので58校中、都道府県別では38位)でした。後ろに12チームいました(笑)。その後、県駅伝は3連覇し、全国高校駅伝ではH16年は1区が5位で襷を渡し、2区でも7位と健闘し最終的に24位。H17年は1区7位で襷を渡し、その後10位台で粘り最終的に13位でした。

≪H17(2005)全国高校駅伝13位メンバー紹介≫

ここでH15-17年度に3年連続高校駅伝に出場した時のエースの大崎千聖について説明します。大崎は中学時代、阿見町立竹来中学校の出身で中学時代は1500mで県南大会こそ優勝しましたが県大会は入賞経験がない選手でした。本校に入学したときは、長い距離の練習はできましたが、筋トレはいつもビリ、動きづくりを行ってもうまくできない選手でした。しかし、努力は惜しまない選手でした。高校1年の裏磐梯での夏合同合宿でBチームの練習ができたらいいなと思っていましたが、Bチームで一人だけ設定タイムで走ったり、最終日の檜原湖一周(約30km)走が終わった時に「楽しかった」と言って終了する選手でした。その年(高1)の県高校新人大会の3000mで初めて県大会個人で入賞し4位。高校2年では、県高校総体3000mで大会新で優勝、関東高校では3位、インターハイ9位、5000mは15分台の県高校新、全国高校駅伝1区5位と一気に全国クラスの選手に成長しました。高校3年次は、全国都道府県女子駅伝の2区で区間3位、10㎞ロードで32分50秒の日本高校最高記録樹立(現在も記録保持者)、世界クロスカントリー大会6㎞で17位と世界の大会に出場しました。県大会入賞していない選手が日本代表選手になったのです。この大﨑が高校2年の東日本女子駅伝で1区を走らせてもらった時のことですが笑いました。前日の練習の時の私の同級生の増田明美さんから「今年の茨城県はどう?聖徳は誰か走るの?」と声をかけられたので1区の大崎と7区を走る和田沙織の話をしました。レースが始まり、大崎は序盤からいい走りをして後半になっても先頭争いをしていました。何度もアナウンサーが「茨城の大崎は高校生ですが、いい走りをしてますね。」と話題を振るのですが、解説の増田は何もしゃべりません。俺の話を覚えていないんだなと思いながら見ていました。アナウンサーに3・4回振られてやっと話し始めました。「この選手は、私の同級生が指導していて中学時代はバスケットボールを行っていた選手です。」と和田の話をしたのです。「やってくれたな」と思いました。そのあとあった時には問い詰めると「ごめん。間違えちゃった。」と笑っていました。その後、大﨑は三井住友海上に就職し、活躍したのですが、よく声をかけてくれて可愛がってもらったようです。
≪大崎 千聖 選手≫

そのあと10年経って、加藤花梨がH27(2015)年に中学1年生に入学してきました。初めて中学受験に誘いました。10年間長距離の指導法で試行錯誤していました。大崎は持久能力が優れていたので、走り込みが中心の練習でしたが、加藤は中1だったので、動きづくり(スピード)と体力づくりに重点を置きラストスパートのできる選手を養成しました。また小学校のころから走っていたので早熟にならないよう考えて指導しました。結果はすぐに出て、1年の通信陸上の800mで優勝(2人優勝)、全日中標準記録突破、県選手権800m優勝。2年次は1500mで県中学記録更新、通信陸上800m・1500mで2冠、全日中標準記録2種目突破、3年次は3000m県中学記録更新と中学時代に県レベルの大会で9回優勝し、全国大会へは7大会出場しました。高校は、9か月間武者修行してから本校で県レベルの大会は3回優勝し全国女子駅伝にも出場しました。今年大学生になり、走ることを決めて進学したので、楽しみながらも成長した選手になってくれればと思っています。

ご指導いただいた先生方
瀧田 詔生 先生(故 当時 成田高校 監督)
小出 義雄 監督(故 当時 佐倉アスリートクラブ)
鈴木 秀夫 監督、
大森 国男 監督、滝田 輝行 先生