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35th トピック3 【初優勝(大会別)】について

小川 健二 2021.02.23

トピック3では、個人種目での【初優勝(大会別)】について振り返りたいと思います。

【初優勝(大会別)】

県大会レベルでの初優勝は、創部3年目の1988(S63)年の秋の茨城県高校新人の円盤投での青柳和子(高2)さんでした。この選手は、中学時代は吹奏楽部でしたが、高校ではダイエットをしたいということで入部してきました。好きな種目をやらせていましたが、1年の夏休みに9月の県南高校新人で女子総合優勝に向けて全員入賞を目指して円盤投げをやることになりなったと思います。2年生になる頃から、めきめきと力をつけて2年の県高校新人で円盤投に優勝しました。しかし、私は審判をしていてこの感動的な瞬間を見ていません。今思うと残念でなりません。

≪写真;青柳 和子(練習風景)≫

 関東高校(北関東)での初優勝は、5年目の1990(H2)年の100mで渡辺和子(高3)さんでした。中学時代から関東中学・全日中に出場するものの入賞はしていない選手でした。入学時には腹筋はなかなか起き上がれない。懸垂をやれば、ぶら下がりっぱなしと筋トレを行うとチームで一番力がありませんでした。それでも筋力も徐々に付き、2年生では県選手権100mで優勝。しかし、本人はスタートに自信がないというので、当時茨城県強化部長であった後藤一彦先生に相談したところ、「レースのスタートで1m後ろから位置に手を着かせてビリからスタートし、加速し抜き去る練習をさせてみなさい。」と言われました。悩んだあげく春先の大会で2回行いました。1回目は順大記録会で1m後ろ、2回目は県大会予選で50㎝後ろに手を着かせました。2回ともスターターが「立って」と声かかけられていました。本人は恥ずかしそうにしていました。レース後はいつも怒っていました。私も見たことがない光景でしたがこれが良かったと思っています(笑笑)。3年の県高校総体では、4種目優勝を狙いました。大会2日前から前日まで風邪をひき欠席していましたが本人は大会には参加するというので、保護者に許可を得て大会に臨みました。結果は400mだけが4位で100m・200m・4×100mR(4走)の3種目に優勝しました。また、この優勝は本校にとって県高校総体での初優勝でもありました。関東高校は、3種目に絞り100mで優勝し、200mと4×100mRで8位に入賞を果たしました。この優勝は、100mでは珍しく着差なしの優勝者が2人でした。発表に時間がかかりました。もう一人の優勝者は、埼玉栄高校の熊田恭子(インターハイ200mで3連覇)選手です。優勝カップがあったのですが、当時埼玉栄の監督だった大森監督が、「明日の200mで優勝カップをもらう予定だからこのカップは持って帰ってください。」と譲ってくださいました。うれしかったのですが少し複雑だったです。関東の翌週の日本ジュニア選手権では100mで7位に入賞しました。しかしインターハイは体調を崩し、力は発揮できませんでした。

≪写真;渡辺 和子;関東優勝≫※写真がなく、新聞の茨城新聞のコピーです

 

 全国大会の初優勝は、1997(H9)年の国民体育大会の少年B200mでの糸賀千恵(高1)さんです。この選手は、中学3年次全日本中学校選手権大会200m優勝の経験の持ち主で、国体での優勝は私にとっては「ほっとした。」が本音でした。大変すばらしい選手でした。しかし高校1年次は、入学後すぐにシンスプリントになってしまい、ほぼ1年間テーピングをしての練習や大会に参加しました。その後、高校2年次に国体の少年A100mで5位に入賞しました。

≪写真;糸賀 千恵;国体優勝≫

 

≪初優勝(大会別)≫※総部1986年

〇県南高校総体;1987(S62)年;100mH;伊藤 美奈(高2)、槍投;松村 操(高2)

〇県南高校新人;1987(S62)年;槍投;松村 操(高2)

〇県高校総体;1990(H2)年;100m・200m;渡辺 和子(高3)、
       4×100mR;舟生 早苗(高3)・竹林 優子(高2)・横川 昌代(高3)・渡辺 和子(高3)

〇県高校新人;1988(S63)年;円盤投;青柳 和子(高2)

〇茨城県選手権;1989(H1)年;100m;渡辺 和子(高2)

〇関東高校;1990(H2)年;100m;渡辺 和子(高3)

〇全国大会(国体);1997(H9)年;少年B200m;糸賀 千恵(高1)